正式公開日 2018年 8月 6日

最終更新日 2021年 7月21日

一般での活動

1996(平成8)年5月
男声合唱団Coro Pange Lingua入団

 男声合唱を唱いたいと思うようになり入団。活動拠点は東京都新宿区内の為、神奈川県の平塚から月4回の練習にすべて参加するのは、かなり厳しかった。

1997(平成9)年7月
男声合唱団Coro Pange Lingua退団

 団長の行動に納得がいかず、一方的に手紙を送って退団。団として初めて東京都合唱祭へ参加した時、集合時間を団員へ間違って連絡した為にリハーサル時間がなくなってしまったり、その時の写真を申し込みをしたのに、団としてまとめて申し込む手続きを全くしないままにしてしまったり(謝りも報告もしなかった)と酷い有様だった。私自身は仕事が忙しくなった(実際に勤務体制が変わったのは大きかった)と表向きでは退団表明したが、この頃退団した(または退団勧告されられた)人達の中には激怒して、団長へ直訴したらしい。後に合唱団の名称が変わり、最終的に解散したらしい。

1998(平成10)年3月
平塚男声合唱団コール・ブラックス入団

 この頃からインターネットの世界へ手を出すようになり、ホームページで男声合唱団を探して最初に見つけたのが「藤沢男声合唱団」。偶然にも定期演奏会直前のタイミングで演奏を聴いて入団したが、練習日が毎週日曜夜で、当時は日曜も深夜勤務だったので続かずに退団せざるを得なかった。その後地元平塚で男声合唱団の存在を知り、平塚市民合唱祭の演奏を聴いて入団。練習日も仕事が休みの土曜日だったので助かった。

1998(平成10)年6月
あんさんぶる・しましま入団

 この時期色々な合唱団の方々にお誘いを戴いた。大変光栄なことだったが、練習日程とリーダーの意気込みに押されて入団。無伴奏混声合唱が中心だが、リコーダーアンサンブルもしているという変わった団体。

2000(平成12)年6月
合唱活動一時休止

 平塚での合唱活動に根付く意志はあった。湘南合唱連盟監事や平塚合唱連盟理事を引き受けたりしていたが、過換気症候群により帰札したことで合唱活動を一時休止。札幌で合唱活動を始める意志を持たないまま、平塚の地で合唱活動を再開したいという希望を持ち続けていた。

2001(平成13)年10月
合唱活動再開

 長期の仕事で収入も安定してきたので、1年5ケ月振りに札幌から空路で平塚男声合唱団コール・ブラックスの練習に参加。2カ月後の12月には、夜行快速列車で車中連続4泊という日程で再び参加。

2002(平成14)年3月
札幌市立手稲東中学校合唱部
創部30周年記念コンサート出演

 札幌コンサートホールKitara大ホールを会場にして記念ステージに参加。札幌でステージに立つのは16年振り。

2003(平成15)年2月
Nコン同窓会in札幌参加

 NHK北海道の放送75周年記念と、NHK全国学校音楽コンクール70周年記念プレ企画として、札幌市民会館を会場にして催された「Nコン同窓会in札幌」の第2部「Nコン同窓会スペシャルステージ」でNコン同窓会合唱団員として参加。

2004(平成16)年6月
合唱活動休止宣言

 平塚男声合唱団コール・ブラックス2ndコンサートを機に、充電する意味で休団宣言をする。

2007(平成19)年1月
平塚男声合唱団コール・ブラックス退団

 退団の意思は全く無かったが、いつの間にか団の規約が存在していて、「休団期間は、半年以上1年以内とし、これを超えた時点で、退団とみなす」という項目が追加され、永久休団できなくなってしまった為、退団を決めた。

2014(平成26)年3月
札幌市立手稲東中学校合唱部
創部42周年アニバーサリーコンサート出演

 体調の問題により合唱活動をしていなかったが、後輩からの連絡により札幌市民ホールを会場にして合同ステージに参加。当時足腰がかなり悪かった為、椅子を用意してもらった。これがきっかけで、合唱活動に力を入れることになる。但し指揮者として。