正式公開日 2018年 8月 6日

最終更新日 2021年 7月21日

学生時代

1984(昭和59)年1月
札幌市立手稲東中学校合唱部入部

 入学してからは担任が顧問だった卓球部に入部したが、長続きせず退部届を提出した。退部届は担任へ提出することになっていたが、当時担任は卓球部員の遠征試合同行で不在だった為、当時副担任で合唱部顧問の佐藤美智子先生(元札幌合唱連盟任命理事)へ提出したことが、合唱部入部のきっかけになった。副担任として卓球部退部自体は色々と説教されたが、まさか合唱部顧問として合唱部入部のお誘いを戴けるとは全く思ってもいなかった。入部した時はTenorだったが、2年生の後半になってからは人数比の関係でBassへ転向。しかし、Bassで唱っていても「声質はTenorなんだけどね」と佐藤美智子先生は認識されておられた。

1984(昭和59)年10月
NHK全国学校音楽コンクール全国出場

 中途入部(?)だった為、NHK全国学校音楽コンクールへの参加は2年生になってからになった。課題曲は「虹のうた」で、自由曲は「寒馬(かんめ)よ雪原にいななけ」(黒沢吉徳作曲)。パートはBaritoneだったと記憶している。当時は、現在の参集方式による全国コンクールではなく、ビデオ審査だった。この年は、ラジオFM放送によるブロックコンクール(録音は札幌地区コンクールでの演奏)後に、NHK札幌放送局のスタジオにて収録したものを全国放送していたが、翌年からは地区コンクールでの演奏が、そのまま全国コンクールで放送される方式に変更された。私にとって、昭和59年度は最初で最後の全国コンクール出場となった。

1986(昭和61)年3月
札幌市立手稲東中学校合唱部引退(卒業)

 3月下旬の定期演奏会というと、年度の締めくくりとして、また3年生にとっては引退の演奏会と認識しているが、この時は単なる定期演奏会ではなかった。その名も「お別れ演奏会」。佐藤美智子先生が札幌市立新川中学校へ転勤されることになった為、札幌市立手稲東中学校合唱部顧問として最後の演奏会だったからである。つまり私の学年が佐藤美智子先生御指導の下で最後のOBとなった。

1986(昭和61)年4月
北海道札幌手稲高等学校合唱部入部

 手稲高合唱部に入部したいという単純な理由だけで、手稲高への入学を目指して本当に合格できたこと(入学後に入試での数学が満点だったと数学の担任から知らされた)、手稲東中合唱部の先輩がいたことで迷わず入部する。その先輩の一声で、パートはSecond Tenorと決まり、現在でも変わらずに定着してしまっている。

1987(昭和62)年10月
北海道札幌手稲高等学校合唱部退部

 人間関係で嫌になり、手稲高合唱部での活動に対してのやる気が全く失せてしまい、NHK全国学校音楽コンクールへの参加を最後に退部。もう二度と合唱活動はしないと思っていた。

1994(平成6)年8月
札幌市立手稲東中学校合唱部OB会出席

 佐藤美智子先生が定年退職されたこの年にOB会(懇親会)へ顔を出したことが合唱人生の復活となった。このOB会で会ったのが宍戸純先輩で、何と在学の東海大学の合唱団で指導をしていると聞いてビックリ。

平成6年10月
東海大学混声合唱団グリークラブ入団

 前述の事がきっかけとなり、東海大学混声合唱団グリークラブでの練習を見学しているうちに、宍戸純先輩、いや宍戸純先生の強い押しで正式に入団となった。余談だが、合唱団の正式名称は「東海大学文化部連合会グリークラブ」。

平成7年12月
東海大学混声合唱団グリークラブ引退

 実質1年3ヶ月だけの活動だったが、第5回定期演奏会を最後に引退。短い在籍期間だったが、下積み経験のないまま副委員長兼企画局長という重役を担ったりして、とても充実した活動だった。